2015年
8月
02日
日
縁あって来てくれたこの板倉が愛おしくて仕方ありません。
もちろん昭和61年に移築した自宅も同じです。古民家独特の空気感、昔の建物には現代の建物では得られないものが確かにあります。
家との心地よい関係はこれからもず~っと続くことでしょう。
板倉ともそんな関係になれるよう大切にしたいと思っています。
2015年
7月
30日
木
寡黙な基礎屋さんがコツコツと仕上げた布基礎が完成したその翌日、今日は、土台が据えられて役柱が立ちました。今の建物には見られない「貫」は柱と柱を補助的に結束し、壁を支え、そして地震の時は揺れをしなやかに受け止めあるいは逃がす、また意匠的にも優れているもので、昔の建物は貫を抜きにしては(笑)考えられません。貫を外すのも入れるものなかなかどうして甲斐性がいる仕事で見ているだけで勉強になります。
2015年
4月
25日
土
「朝顔に鶴瓶とられてもらい水」今は使われていませんが今でも使用に耐える古井戸を見せて戴きました。東屋風で意匠の塊ともいえる井戸の覆いは、竹木舞からつくりあげ仕上げは白漆喰壁、三方の明かり小窓は竹格子を入れるという凝りようです。お宅は高台に位置し、その分井戸は深くて、覗き込むと引き込まれそうな雰囲気がありました。必要に迫られてつくられた井戸、往時が偲ばれます。今となっては在るだけでも素晴らしいことだと思います。
2015年
4月
03日
金
金桶冨士神社の参道のなかほどの脇で、それこそず~っと集落の甍と祭りを見つめてきた柿の大樹が今冬に寿命が尽きました。古樹の根元はおよそ半分ほど枯死していて雪の重みに耐えられなかったのです。
縁あってこの大樹を貰い受けました。ボタに草が生い茂り土が締まったころに作業をはじめようと思います。凛と立つ木を伐るほどのプレッシャーは感じないかもしれませんが其れでも心して作業を進めたいと思っています。「いただく」と言う気持ちを忘れないように。
2015年
2月
26日
木
集めに集めた古民家のソフト部材の雄、「板」、古い板を昨日拠出いたしました。拠出?
戦中劣勢の日本が国民に求めたあの拠出とは同列ではありません。お上の御達しではなくてあくまでも積極的な私の心の動きなのです。(笑)年齢的にちょっともてあましの気持ちと、女房の普段のチクチク指摘で弱気の心情をタイミングよろしく見事に突いてきた(笑)若夫婦の言葉は絶妙でした。何よりも古材の味と当時の職人の手間を理解してくれているところが何ともいいところです。
2015年
2月
18日
水
古民家暮らしは感覚的には清貧な暮らしで方であるようなないような・・・・・。
うまく表現できません・・・・・。
が、ちょっとガマンがいる暮らし方であり、ちょっと手間がいる暮らし方であるのは間違いありません。移築してからおよそ30年「この家だんだん良くなるね」と女房が、反対した女房が何年か前に言いました。清貧とは真逆のような暮らし方をしていますが家だけが清貧を纏い成長していると想う今日この頃です。
2015年
2月
04日
水
棟梁の想いを、棟梁が墨付けをして一人で刻んだ土台の継手・仕口にみることができます。どれもこれも手間も技術も必要な、建築用語的には「上等」なものばかりです。土台は全部新材に替えられます。150年前の大工に対する尊敬と自身の誇りがなければできることではないと思います。
2015年
1月
31日
土
古材、ず~っと燻された古材はかりんとうのような色をしています。少し前までは柱が、今は横ものです。
加工された木口から樹種が分かります。芳香の桧、油性香の姫子松など、150年経てもその特性は失っていません。もちろん強度も保たれています。
広い仕事場にはどこを向いてもかりんとうが横たわっています。
2015年
1月
24日
土
待望の建前(上棟)日が決まりました。その吉報を聞いたのは今まさに新年会の酒宴に入ろうとするタイミング、飛騨の祝い唄「めでた」は建前を祝う唄となり声高らかにうたわせていただきました。建前は2月6・7両日です。おめでたいことなので皆さんに見ていただきたいと思います。
2015年
1月
11日
日
民家には土間と板間と座敷の空間構成があります。民俗学では土間は縄文時代の竪穴住居、板間は平安時代の寝殿造、座敷は武家時代の書院造を受け継ぐものと言われています。長い長い歴史が民家に取り込まれていることに驚きを持ちます。同時にそんな歴史ある民家の構成が日本人の心身のカタチづくりに少なからずかかわってきたは理解できるところです。
話は変わりますが、昨年お寺の門徒入りをさせていただきました。折に配りものが届きます。東本願寺、別院、お寺からなどの配りものが檀家役員から届けられるのです。「西念寺かわら版」を見ていた女房が言います。「仏壇がなければ子育てはできないって・・・」と、新築の家をおばあちゃんに披露した孫が仏間や床の間がないことで「あんたな、仏壇のうて子育てできると思っとるのか」と、叱責されたことがかわら版の書き出しです。その光景を想像すると笑えそうですがおばあちゃんのことばには重いものを感じてしまいます。
民家で、神秘性とか精神性を感じるところは仏間であり、床の間であるのは間違いないと思います。
2014年
12月
31日
水
本日の早朝、金桶富士神社の氏子総代長さんが神様の御札と大祓の御札を届けてくださいました。差し出された御札は春慶塗のお盆でうやうやしくお受けしました。そして、神棚をやわってお札をおさめしめ縄を取り付けました。歴史のない新家、私宅の迎春準備はこの程度のものです。
2014年はいろいろとありがとうございました。2015年が皆様にとって輝かしい年であることをご祈念申し上げます。
2014年
12月
28日
日
昭和62年に富山県より移築した自宅、今ある雨戸はその時に新調したもので28年間使用しています。仕事の関係で長らくの空き家環境を上手に支えてくれた欠かせないものであったと思います。雨戸の丈およそ6尺2寸、建具の丈およそ5尺8寸5分この辺りが基本、雨戸は建具を存分に意識してつくられたものなのでしょう。
夏は光。開閉で差し込む光と切られる光を意識させてくれます。冬は断熱。木材の優れた断熱性と建具との適当な空間が一枚ガラス戸の欠点を補ってくれています。
もう変えようのないカタチ・意匠はただそれだけで美しいものです。さらに日本の四季にぴったりの特性は和洋を問わず使えるものです。そんなところに雨戸の奥の深さ、先進性を感じます。
2014年
12月
20日
土
外国の歴史ある街では特別の事情がない限り古い街並みが「旧市街地」と言ったかたちで残されています。日本でも古い街並みを大切にしようと言う意識は確かにありますが、意識の質が少し違うような気もしています。
古い木造建築の民家はただそれだけで価値あるものです。これから家を持とうとお考えの方にはぜひ伝統の意匠を取り入れてほしいと思います。たとえば、居間とか食堂とか寝室とか大切な一室だけでも柱は現わし壁は塗り壁、つまり真壁づくりにです。家の中のほんの少しだけに伝統を試みる。心地よさや安らぎはそんなところか得られるのではないかと思います。
2014年
12月
13日
土
義父、女房の父親は山仕事をなりわいとしていました。その山仕事でず~っと家と家族を守ってきたのです。義父は、いわゆる山甲斐性のある人でした。山甲斐性とは単なる甲斐性のある人以上に甲斐性のある人ということです。「あの人は山甲斐性のある人や」と言われること男にとっては最高の褒め言葉だと思います。
山仕事は危険が伴います。そして仕事に使う道具などは最少限度です。そのような仕事環境のなかでもその場その場で甲斐性を発揮して仕事を進めていく、早く美しく、つまりいい仕事をすることができる人のことです。
これは、義父が実際に使っていた道具です。形見としてもらいました。大鋸・鋸が三丁、斧が四本、下草刈り鎌一本です。使ってこそ道具、山でなく平地で使うことぐらいはできなければ義父に笑われます。
2014年
11月
12日
水
「落ち葉の舞い散る停車場は~」奥村チヨさんのヒット曲「終着駅」です。そして「さみしい女の吹きだまりだから~」と続きます。すみません。晩秋の我家のシンボルツリーの現状を伝えたくて昔の歌を引っ張り出してきました。
家の前、風渦巻くところは乾いたケヤキの落ち葉がサラサラと音をたて舞っています。
材としてのケヤキ、特に煙でいぶされ磨きこまれた古民家のケヤキの柱や梁などがたまらなく好きでこの家を移築しました。
木曽五木はヒノキ、アスナロ、ネズ、サワラ、マキですが木曽六木と言うとケヤキが加わるそうです。ケヤキ以外はすべて常緑針葉樹、木目の美しさ故に殿様のお沙汰に加えられたのでしょう。
今は木立としてのケヤキの魅力も四季折々大いに感じています。
地元の冨士小学校跡地、その一角にケヤキの大木があります。一時は移転した工場建設で伐られる運命でしたが強運にも生き残りました。商業施設・娯楽施設・工場いづれも大きな建物の中心的なところに立つケヤキは、そのエリアのシンボルツリーになっています。
2014年
11月
09日
日
「木から好きなだけ持って行って」と、ありがたい言葉かけられたうえ、梯子と伸縮自在のハサミまで用意していただき採ってきた渋柿は、干し柿にもってこいの渋柿です。
熟睡している女房起こさぬようにそーっと起きたのは午前4時すこし廻ったころ、眠気眼で皮をむきかけて明るくなるころに終了しました。
2014年
11月
03日
月
家をつくるうえで一番大切なことは何でしょうか。広い土地に建てることでしょうか。お金を沢山かけることでしょうか。有能な建築士に委ねることでしょうか。有名な建築会社を選定するすることでしょうか。できるだけ節約することでしょうか。断熱の効いた家に住むことでしょうか。便利・快適で行き届いた家に住むことでしょうか。私は、このどれもが正解であり正解ではないと思っています。結果的に意にそぐわぬ家になったとしても自分の意思がどれだけ貫かれているか否かが重要であると思います。
家は自分を表現する究極のカタチ、言わば究極のファッションではないかと思います。身に纏う服や持ち物、あるいは日々使う車などはその例示の一つでしょう。住居も「中らずとも遠からず」です。
古民家も纏うファッションです。
イギリスでは古民家は価値あるものとされています。その理由はさておきイギリスにはツウィードのジャケット、親子二代で継がれ着られるジャケットがあります。衣服にでさえ歴史を纏わせようとする人、民があることに感激しました。
純粋に古いものには価値があると思います。もっともっとその部分に触れていきたいと思う今日この頃です。
2014年
10月
26日
日
昨年拾い置きした薪ストーブ用の杉葉少なくなったので、屋根のペンキ塗り作業に区切りをつけて暗くなる前に拾いに出かけました。
持ち物は、米袋と二つ、縛って担ぐためのロープ、そしてクマよけの鈴です。出掛ける場所は昔里山だった近所の山ですがクマの出没も普通に考えられるので用心で携行しました。
子供が通学で長年使ってくたびれた自転車で山裾までゆき、今ではあまり使われなくなった山道を息を切らせておよそ5分、杉木立のなかに入りました。
台風19号の吹き戻し結構強かったので「杉葉たくさん落ちているだろうな」と期待して来たのですが思ったほどではありませんでした。
杉葉は霜が降りてから拾うものと知ってはいましたがやはりその通りでした。
降霜の頃、昔も今も暖が本格化します。そして獣の心配もありません。その意味を改めて感じました。
杉葉を拾う。たったそれだけのことだけど考えることは沢山あるような気がします。
2014年
10月
23日
木
自宅には職人さんが滑らかくしてくれたものがあります。
一つは大工さんがしてくれたツルツルの柱です。
もう一つは左官さがしてくれたツルツルの漆喰壁です。
どちらも心と高い技術があってこそ出来ることだと思います。
ですから、ついついご来宅のお客様に「触ってみてください滑らかいでしょう」とふけらかしてしまいます。
職人さんの心と技を自慢してしまうのです。
2014年
10月
13日
月
納得した煩わしさ
この言葉は、岐阜県主催のセミナーで講師の方が言われた言葉です。以来、いろいろな場面で思い出される大切な言葉の一つになりました。
煩わしいことはできれば避けたい。当たり前です。でも避けてばかりいられないから困るんですよね。好き嫌いだけで生活できたらいいんですけど世の中その中間のことが圧倒的に多いような気がします。だから煩わしいのだと思います。
古民家暮らしはこの煩わしさを敢えて求めることに意義があるのだと思います。
古民家暮らしで煩わしいこと挙げればきりがありません。でも、その煩わしいことは古民家暮らしの特徴であり特長なのです。
どこかにこんな記載がありました。「住む家」と「棲む家」です。
そうです。古民家暮らしとはまさに「棲む」ことなのです。良いことも悪いこともすべて受け入れて棲むことだと思います。
大げさでなく古民家から学んでいます。だから古民家がお手本なのです。
2014年
9月
28日
日
DIY的なことが好きで、先ずは自分でできないか考えてみます。そうなんです、かなりの貧乏性なのです。親父や兄は私以上に自分でやっていましたから貧乏性の血筋なのでしょう(笑)でも、DIYなんておしゃれな表現が定着した今は内心自慢気な気持ちもあるので、いやな奴と思われているかもしれません。
色々なことを自分でやってみる過程や結果でいつも思うことがあります。それは、職人さんプロはやっぱり凄いと言うことです。当たり前のことです。でも自分でやってみた後の思いなのでちょっと違った凄さを感じているような気がしています。昔は仕事を依頼する側も仕事をよく理解していて職人もそれに応えようとしていたのだと思います。今とは違った良い緊張感があったのだと思います。
2014年
9月
16日
火
古民家が大好きと言って不動産屋をさせていただいています。
さて、私が常々考えていることをお話しします。
その考えはまだまだ具体的なものは何一つありませんが、皆さんにお話しすることによって行動を起こさざるを得ない状況に身を置こうと思います。
古民家に代表されるような昔ながらの建物が新たに供給されていない途切れている現状を考えると、今日、私たちが伝統的建物から受けている良きことを将来に残すことができなくなることは確実です。
でも、それは寂しいことですがしかたないことだと私は思っています。
問題なのは古民家建築に注ぎ込まれている職人の技術、今も受け継がれている技術が失われていく危機に瀕していることなのです。
技術と現場は表裏一体、一方が無くなればその一方も無くなるのです。
ですから現場の確保が急務です。
とは言え、現在の建築に取って替わるような復活を求めているのではありません。
日本の伝統文化の大切な一つを何とか守りたいだけなのです。
そのために何ができるのか考えていきたいと思います。
2014年
9月
09日
火
今は、人が、社会が同じ方向を向いているようでそうではないのだと思います。
で、それを「多様なのさ」と、ひとくくりに言ってしまうのもちょっと違うような気もします。思うに、多様である人々の思いや考え方が離合集散を繰り返している。目まぐるしく動いて留まっていないのが今なのだと思います。
でも、そんななかでも確実に大きくなりつつある流れがあることを感じています。それは回帰への流れです。衣食住すべての分野において回帰への流れを感じています。
商工会の情報紙に「鉛筆の良さ」についての記述がありました。
私も同感です。小刀で芯をだしてさらに芯を細めていく工程、少しづつ太くなっていく字と書き心地の微妙な変化。
子供の頃の筆入れの中身は、鉛筆数本と消しゴムと小刀でした。休み時間には鉛筆をよく削ったものでした。
単に鉛筆を削るたったそれだけのことですけど、そこから多くのこと学んだ気がします。
身近なことからの回帰の流れは本物の流れだと思います。
2014年
9月
06日
土
いま古民家移築に向けた動きが進んでいます。
その主役である古民家は築150年とも言われている農民家です。
すでに家は木組み構造を知り尽くしたベテランの大工さんの手で丁重に解かれて、すべての材は大工さんの作業場において丁重に保存されています。柱、梁、垂木、大引き、根太、板、建具などすべてが集まっています。
今後、大工さんのする仕事は一部柱の根継ぎと埋め木程度にとどまるものと思われます。
私たちにとっては150年と言う歳月は非常に長いものですが、木にとっては鼻歌程度の歳月なのだと改めて思います。
古民家に住まいするということはその長い歴史を引き継ぐことであり、喜びもそこにあるののだと思います。
2014年
8月
31日
日
昨晩(8月30日)高山市内の吉島邸において宮大工の八野明さんの講演会がありました。八野さんが言われたことのなかで特に印象に残っていることは、
飛騨の森は全国的に見ても稀なほど多様である。それが飛騨独特の木の文化を創り出した。
しかし、植林木の現状と木材需要のバランスがとれていない。もったいないこと。
立派な木で造られた立派な家が長持ちするのではない。粗末な材料で造られた家でも300年以上耐える。木とはそういうもの。家を大切にする気持ちが家を長持ちさせる。
職人受難の現在、このような時が来ることは20年以上前から予想できたこと。一握りの職人によって辛うじて技術が生き延びている。
旦那衆は職人への気配りを怠らなかった。懇意の職人の日々の生活状況にまで目配りして、仕事がないようであれば仕事を創出さえしていた。・・・・・
最近知った言葉「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)禅語です。
自分をよく見つめなさい
他に向かって理屈言う前に自分のことをよく反省しなさい
身近なことに配意しなさい
気付かされる講演でした。
2014年
7月
28日
月
古民家の良さは非現実的ともいえる趣きなのだと思います。
では、小屋はどうでしょうか?
小屋の定義はさておき、私の考える小屋とは立派な小屋ではなく粗末な小屋のことです。主観的でかなり曖昧です。
田圃や畑にある農機具小屋、物置小屋、倉庫などは母屋から離れれば離れるほど、建物はこうでなければならないというような決め事、言わば社会性から距離をとることができます。
回りくどい表現ですが、カタチや体裁にとらわれず好き勝手にできるという意味です。すべからく小屋のなんとも言えない個性的な趣きはそんなところから醸し出されているのだと思います。
古民家づくりもそうあるべきです。
もしあなたが古民家に住むのなら住んでいるのなら、慌てないでほしいと思いますし作り過ぎないでほしいと思います。
そして、小屋づくりと同様に決め事にとらわれないで頂きたい。
古民家は寛容で奥深いものです。きっとあなたの考えを超えたものを見せてくれるはずです。
2014年
7月
04日
金
もう5年以上前のことです。
高山市役所の地階で「石場建てを含む伝統的構法木造建築物の設計方法」と言う長いタイトルの説明会がありました。
現職の警察官と言う門外漢の身でありながら市内の設計士さん、岐阜県古民家再生協会の方(当時)と一緒に参加しました。会場は満員でした。
座長は、鈴木祥之(よしゆき)さんと言う方で、現在は「伝統的構法の設計法作成及び性能検証実験」と言う検討委員会の委員長をやっておられる方です。
余談ですが、7月6日飛騨高山まちの博物館で「伝統構法木造建築物マニュアル講演会」 ~町屋に住みつづけるために~ が開催されます。講師はその鈴木さんです。
話は戻ります。
その検討委員会は日本の建築文化、伝統的な建築文化を残すため切っても切れない関係にある石場建て建築の耐震性について、実大震動実験など大掛かりな研究をされています。
石場建て構法が現在の建築基準法の中に組み込まれたならば、素晴らしいことで、すごくうれしいことです。
ですから検討委員会には本当に期待しています。
2014年
5月
13日
火
いつも口癖のように、手間、手間と言っている気がします。
手間は、時間に置き換えることもできます。
私の言う手間とは、職人さんがモノづくりにかけた時間そのもののことです。
見ただけでは分からない隠れた手間、
本当に良いもを手にしようするなら、モノそのものをよく知って、
職人さんの手間に想いを寄せることが大切なことと思います。
2014年
4月
19日
土
ブログへのコメントありがとうございます。
私たちの周りには昔からの慣わし、しきたり、作法などに関する言い伝えがたくさんあります。ミキ、ヨキに関することもその一つですね。
このようなことは知らなくても学業に何ら影響はないし、また、生活に困るわけでもない。でも、知ると「なるほどなあ」と心の底から感嘆させられます。
これらのことは、神様(自然)に対する畏敬、生きとし生けるものに対する慈しみ、そして命をいただくことに対する感謝をもとにして長い歴史の中でかたちづくられたものであると思います。
知らないことは人に伝わりません。もちろん経験することが一番なのでしょうが、少なくとも知って感嘆したことについては何らかのカタチで平生に反映させていかなければと思います。(こちらもながくなりすみません)
2014年
4月
16日
水
昨日、金桶地区でおそらく最大級の柿の木を倒しました。
以前に知人のお父さんからの依頼があり、重ねて知人からも依頼され、芽吹く前に、柿の木周辺で畑作業が始まる前に倒したのです。
最初の依頼から十何年?、やっとで重い腰を上げたわけです。
ず~っと気になっていたのですが正直自信がなかったのです。あまりの大きさと立派さに腰が引けていたのです。
作業は木の中段に登り、先ず大きな枝を払ってコンパクトにしてから幹を倒しました。周辺への影響は最小限にとどまり予想以上にうまくいきましたが、いい仕事ができた後の満足感のようなものは全くありませんでした。
集落を見下ろす位置にあって、何十年も集落を見守ってくれていたような木を、私のような者が倒してしまった・・・・。
疲労感と相まって恐怖さえ感じてしまいました。
キコリの斧に刻まれた、左4本と右3本の線の意味の重さゆえに、相応の礼を尽くし作業にあたったつもりでしたがだめでした。
所詮、素人は素人、分をわきまえなければならぬこと思い知りました。
私には、荷が重すぎたのです。
2014年
1月
05日
日
今年、氏神様への初詣は家族の同伴はなく私一人だけ、午前0時からの元旦祭斉行にあわせ10分前に自宅を出て、とぼとぼと(笑)歩き出しました。
金桶冨士神社の参道は急坂の極み、名物参道です。
毎年のことですから、当夜の冷え込みを考えるまでもなく登坂の難儀さは織り込み済みでした。が、今年もやっぱりまちょな人による対策がありました。
今年はおがくずの路面全面散布でした。凍みだしにはおがくずが最適と判断されたのでしょう。融雪剤ではなくecOに配意しておがくずをチョイス、素晴らしいと思います。
おかげで気分良く帰宅、玄関前でしめ縄をパシャ、そして熱燗一人酒、新年飲み初めの酒はひだ正宗、冷えた体を温めてくれました。今年も旨い酒が飲めますように。
2013年
12月
01日
日
第20回「飛騨古民家お手入れお助け隊」の記念お手入れはなんと国指定重要文化財の日下部邸です。(すごい事です)
過去、お助け隊員として7・8回の経験がありますが、今回も今まで同様遠慮なく(笑)触らせていただきました。そしてそのことに対して当主の日下部さんから感謝の言葉がありましたが、こちらの方からお礼が言いたいほどでした。
およそ140年前の大火で全焼しその4年後に新築、その財力については言うまでもありませんが、職人と材料の確かさが日下部邸の価値なのだと、普段は見られない隠し部屋ともいえる一室の掃除をしつつそう思いました。
今となっては得難いものを見て、触れ、感じる。そして、多くの方からいい刺激をいただき充実した一日でした。皆さんに感謝です。
2013年
11月
25日
月
岐阜県が主催する「集落再生コーディネーター養成講座」を受講しています。今回のテーマは地域フィールドワークの実践「歩く・見る・聞く」です。
第3回目は11月24日(日)高山市上宝町の本郷・葛山地区などで開催です。
葛山地区では「住民の住民による住民のための上水(天然水)設備」を見学させていただきました。区長さんの穏やかな説明のなかに、自然に対する感謝と残すべきものへの強い思いを感じとらせていただきました。
また、本郷地区では地域に詳しい元大工さんの講演を受講しました。地区周辺全体が高原川と蔵柱川の河岸段丘との説明には「どひゃー」の驚きと「そやなー」の感嘆がありました。
2013年
11月
22日
金
飛騨は寒くてよい処、薪ストーブが似合います。
薪は大切ですね。薪が沢山あるとリッチな気分、逆に少なくなると淋しくなり寒さが余計に身にしみますね。すべての暖や煮炊きを薪に頼っていた昔は薪の確保にそれこそ命を懸けるほどであったことでしょう。
我が家の薪ストーブにも10月に火が入りました。20年になるヨツールは全く健在、中古購入した台所のちっちゃなモルソーもそれなりに活躍しています。
で、今日、杉葉拾いに行ってきました。霜が降りたので地元の杉林は新杉葉のジュウタン状態、米の空き袋に目一杯詰め込み担いで来ました。下山途中見る遠景は今日も心を満たしてくれました。自然の恵みに感謝です。